以前はあからさまな暴力や暴言、犯罪行為ではなければいじめと定義されませんでした。
は解釈が分かれるところですが、法律上でははっきりしています。
平成二十五年度から施行された【いじめ防止対策推進法】ではいじめを定義しています。
心理的や物理的に生徒が苦痛を感じているものは全ていじめと定義されています。

阿部泰尚(あべひろゆき)氏著「いじめを本気でなくすには」を参考に最近のいじめ事情を解説します。

 

以前は仲間はずれやいわゆるネットいじめ、掲示板にで誹謗中傷を書き込まれたり、SNSで悪口を拡散しても、はたしていじめとして定義できるのか、いじめの事実が証明できるのか?
現行の法律上ではすべてがいじめと認識されています。
しかし、現実にはなかなかいじめ対策はすすんでいないようです。
それは何が原因なんでしょうか?

 

 

いじめ認知件数が少ない地区ほどあぶない

 

文部科学省や総務省ではいじめを広く定義しているのに、教育現場ではいじめの解釈が旧来と変わらずあいまいのようです。

教師の中では、できるだけいじめはないことにしたいという心理が働くようです。
クラスの担任も上司に監視されている公務員に過ぎず、常に評価の目にさらされ、他の同僚教師との競争している立場です。

しかも、教師の勤務評定ではいじめをちゃんと対応できたとしてもなんの評価対象にはなりません。

その中で一番、いじめが起きたクラスの担任教師となったら、その評価がどうなるかは想像できるでしょう。

私達が見てきたいじめられた生徒のいる担任教師でも、
「うちのクラスはみんないい子ばかりで、絶対にいじめなんかありません」
と自信満々で断言する人を何人もいました。

いじめはないと本気で思っているのか、そう思いたいのか分かりませんが、
・できるだけことを小さくおさめたい
・いざこざや悪ふざけの延長線ということにして起きたい
と言う心理が働くようです。

これはいじめを長年外から見てきた探偵でなくても、
一般常識からしても、いじめはなくなっておらず、むしろ増えているという認識なんじゃないでしょうか?

教育現場の常識は大きく世間とズレていますし、
そのズレを修正しようとせず、頑なに守ろうとする体質のようです。

たとえば、危険だと言われ、毎年のように事故がある運動会の組体操がなかなか無くならいのと根は同じような気がします。

いじめの認知件数は年々増えていますが、いじめの認知件数が多い場所よりも、むしろ数がすくない自治体の方が、いじめに対する認識が甘い可能性があります。

 

いじめの有無を決定する教育委員会、おざなりの第三者委員会

 

いじめの定義は既に【いじめ防止対策推進法】で定義されていますが、なかなか浸透せず、平成三十年は総務省はいじめの限定解釈をしてはいけない勧告を出しています。
しかし、教育委員会にはその意識がなく、保身のためにあいかわらずいじめと認めるのを避ける体質があるようです。

保身のために嘘やごまかしを恥じる人は教育の世界では出世しにくいようです。
文部科学省がいじめ撲滅を訴えても減らない理由
文部科学省は直接各公立の学校の組織のトップではありません。
小中学校は各自治体の教育委員会が運営しています。
文部科学省はあくまで指導をする立場なので、教育委員会に命令する権限はないのです。

もしいじめを訴えたとして、そのいじめを自治体のいじめ対策に相談しても、
結局は訴える学校も元々は自治体の教育委員会の管理しているもの。
設立される第三者委員会も完全に部外者の第三者が選定されることはまれで、教育委員会が選定する場合が多いようです。
学校、教育委員会、第三者委員会もほとんど身内ばかりで、被害者のための判断を下すことは考えられません。

 

大阪府寝屋川市の画期的ないじめ対策

 

2019年寝屋川市市長広瀬慶輔市長は、市長直轄の監察課を設立しました。
弁護士資格をもつ職員やケースワーカーを揃えて、初期段階からいじめ対策を行います。
従来の教育的アプローチでけでなく、行政的アプローチ、さらに被害者が訴えを起こす時のための法的アプローチも行います。
名前ばかりの課であれば、それまでのシステムとかわりがないかもしれません。
しかし、市長直轄の課だけに、教育委員会などの関与がないので、妨害がなく、歪みのないいじめ調査ができるでしょう。
監察課は設立してから3か月で300件のいじめを確認したといいます。
寝屋川市がモデルケースになって全国に広がればいじめ探偵の仕事はなくなるかもしれません。

 

まとめ

 

いじめに対する新しい取り組みも始まっていますが、学校、教育委員会がいじめを隠蔽する体質である限り、後を絶たないでしょう。
いじめは根絶することは無理かもしれませんが、早期発見して早期解決する方法を確立するのは不可能ではありません。