生きていくのは大変です。

動物の動画を見ると癒やされますが、実は動物の世界も人間以上に大変です。

竹内久美子著「悪のいきもの図鑑」から動物たちの仁義なき生き様をお伝えします。

 

悪の動物サバイバル

 

気に食わない他人の豪邸を壊すマダラニワシドリ

 

ニワシドリの仲間はオスが見事な巣を作ることで知られています。
オスたちは巣作りでメスにアピール。
巣がメスに気に入られたオスだけがつがいになることができるのです。

通常の鳥のオスは美しい羽や歌やダンスでメスにアピールします。
でもそれは、捕食者にも見られてしまうので命を奪われる危険があるのです。

そこでマダラニワシドリは巣作りをアピールすることで、食べられる危険を開始しています 。

マダラニワシドリのオスはミスにアピールする時だけ、首の後ろのピンクの羽を開きます。

オスが作る東屋は、黄色いワラを敷き詰め、入り口付近は貝殻や花、羽などの飾り付け、
プラスチックのかけらや、ペットボトルのように光沢のある人工のものも利用されます。

朝日があたるとキラキラ輝くという凝った造りになっています。

東屋作りに励む一方で、オス同士はお互いの東屋の破壊に精を出します。
ライバルのオスの東屋を破壊した後、材料も奪い去ります。
マダラニワシドリ同士で戦い合うことは、生産的じゃない気がするのですが、
同じ会社やグループでも足の引っ張り合いをする人間社会も同じでしょうか?

オス同士に歴然とした順位がある地域では、東屋の破壊活動が減るそうです。
順位が高いオスが立派な東屋を作る権利があるのです。
余計な争いがなくなる面に関してはいい気がします。

しかし、順位の下のオスが分不相応な東屋を作ったりすると、たちまち破壊されてしまいます。
人間以上に厳しい格差があるようです。
身分制度は社会の安定を図るため作られたシステムなのでしょう。

 

巨大な家の工事をサボるとお仕置きするシャカイハタオリ

 

「共有地の悲劇」と言う言葉があります。

牧草地が一人だけで独占できたなら、草が食べ尽くされないように牛の数を調整します。
ところが誰もが使える場所だと、たちまちみんなで奪い合いになって、草が食べ尽くされてしまいます。

アフリカに住むシャカイハタオリという鳥の社会では、自分の巣作りとみんなの共有の施設を作る2つの役割りがあります。

自分の巣作りばかりに専念した方が短期的には得なんですが、みんなが自分の利益ばかり追求すると、共有施設が破壊されて社会が成り立たなくなるのです。

ずるい鳥になると、自分の巣作りばかりに精を出して、共有施設の奉仕活動をさぼります。
さぼった鳥はグループから追放される掟です。

と言っても、追放は1日で解除され、次の日には戻れます。
戻った鳥は反省して、前の3倍以上、奉仕活動に精を出すそうです。
鳥の世界でも罰則って必要なんですね。

 

意地悪な奴は死にそうでも見捨てるチスイコウモリ

 

吸血鬼=ヴァンパイアのモデルとなったといわれるチスイコウモリ。
本物のコウモリは人間の血ではなく、家畜の血液を吸っています。

フィクションの世界では鮮やかに血を吸っていますが、これにはなかなか技術がいるようで、大人では7%、子供では30%が血吸いに失敗してねぐらに帰ってくるのだそうです。

しかも、次の日も血吸いに失敗すると、死んでしまうそうです。
フィクションの吸血鬼よりも過酷な運命です。
そこでチスイコウモリの社会では、うまく血を吸えた者が血吸いに失敗したモノに血液を分け与えるのルールになっています。
血液を分け与える方は血が余り余裕があるからしているのではありません。
与えた方もギリギリで、死に近づいています。
そこまでして、仲間に血を分け与えるのは10年以上も付き合いが続いて、自分もいつか必ず助けてもらう可能性があるからです。

「困ったときはお互い様」の助け合いの精神がルールの中に組み込まれているのです。
この助け合いのシステムが働いて、血を分け与えない場合にチスイコウモリが死んでしまう確率が8割のところを、2割に抑えられています。

ただし、このルールを守らない利己的な奴はグループから追い出されてしまいます。
他のモノに血を与えないから生き延びる可能性があがるような気がしますが、自分が血吸いに失敗した時は誰も血を分けてくれません。
若い時は一匹オオカミならぬ一匹コウモリでも大丈夫でしょうが、衰えて血吸いが下手になるとたちまち死の危険が迫ります。

自分が生き残るためにも、助け合うシステムは必要なんですね。

まとめ 動物の世界は社会の縮図

動物の世界は人間の社会がどうしてこんな仕組みになっているのか教えてくれますね。

一見、理不尽に見えるルールでも、厳しい世界を生き延びていくため必要なために作られたものだと納得します。