映画監督の榊英雄。俳優木下ほうか。また小学校教諭の2011年の教え子との暴行。
この人たちはもう二度と表社会には戻ってこれないだろうことは想像できます。
暴行などの犯罪ははっきりと犯罪行為が立証されます。
しかし、これまでこの手の性被害が表沙汰にならなかったのは、やはり加害者側が被害者より地位・立場が上であることです。

 

10年経った後の性被害は訴えても効力があるのか

 

芸能界の場合、自分が所属する事務所に訴えても、加害者の方が有名な監督・俳優だと他の所属タレントが今後起用されなくなるなどの忖度が働いて、事務所が守ってくれないばかりか、黙認している部分があるといいます。

逆に加害者の方が芸能界に地位のある人物であるがために、加害者から慰謝料・賠償金などが取れなくても、マスコミにネタとして提供することでそれがお金になるという側面があるかもしれません。

小学生の教諭の場合は、被害者の訴えがなかったのに、盗撮の別件で押収されたビデオに暴行の様子が残っていたので逮捕されました。

この教員の場合は盗撮や暴行の様子など、自ら墓穴を掘って、過去の犯罪が暴かれています。

しかし、被害者の訴えもなく、証拠もなければ、性被害はずっと闇に葬られたままでしょう。

芸能界や教育界だからこそ目立ちますが、実は氷山の一角でまだまだ性被害は隠れているのかもしれません。

 

性被害が埋もれていく一番の理由

 

小松原織香「当事者は嘘をつく」では性被害者の生々しい実態が書かれていいます。

小松原さんは20歳の頃につきあっていた男性から暴行を受けます。

交際をしている男性から性的暴行を受けたとは訴えにくいものです。

さらに性被害を訴えにくしたのは、小松原さんの心に「解離」という精神障害が起き、暴行されたときの記憶だけがすっぽり記憶から抜け落ちてしまったことです。

思い出そうとすると、頭にモヤがかかったようになり、記憶の混乱が起きます。これは小松原さんの無意識耐えがたい場面を切り貼りして勝手に編集してしまったことで起きるようです。

それと同時に小松原さんは自分に不利になるようなは発言や行為を、都合よく削除して、記憶の改変やねつ造を行っているからでした。

本人自身が受けた被害を正確に把握していないことが、余計に性被害を訴えることを困難にしているのです。

本人自身の経験が嘘である可能性に怯えています。

「私が受けた性被害は全て自分の思いこみかもしれない」

と自分自身が思ってしまうと、誰も被害を訴えることができなくなるでしょう。