秋が来た頃、拓也は気づき始めた。
同じペースで通うと、貯金が増えない。カードの請求が、見て見ぬふりできない数字になってきた。

「ちょっと控えようかな」
そう思っても、店に行くと雰囲気に飲まれる。
“今日は軽く”のはずが、結局ボトルを入れる。
けれどある日、店の女の子——梨花が、以前ほど笑わなくなった。
LINEの返事も遅い。
同伴を誘っても「その日は忙しくて」と断られる。
拓也は焦った。
“俺がモテてたんじゃないのか?”
その疑問が出た瞬間、必死に打ち消した。
さらに翌週。拓也が店に行くと、梨花は別の客の席で、同じように笑っていた。
その客のテーブルには、シャンパンが並んでいた。
拓也は、喉の奥が冷たくなるのを感じた。
梨花がこちらに気づいて、軽く会釈する。
それは丁寧だったけど、“特別”ではなかった。
帰り道、タクシーの窓に映る自分の顔が、やけに疲れて見えた。
勝ち取ったはずの自信が、財布と一緒に痩せ細っていく。
家に帰ると、電気がついていた。
美咲がリビングで寝落ちしていた。テーブルには、冷めた味噌汁と、ラップのかかったおかず。
拓也は、なぜかその光景に胸が詰まった。
店では何度も「すごい」と言われたのに、ここで初めて「自分が必要とされていた」ことを思い出した。
翌朝、美咲は何事もなかったように弁当を作っていた。
拓也が「…昨日、遅くなってごめん」と言うと、美咲は手を止めずに言った。
「もういいよ。慣れたから」
その言葉は、怒鳴り声より痛かった。
慣れた、というのは諦めだ。
諦めは、愛情より先に家を出ていく。
拓也はその日、仕事中も落ち着かなかった。
“ありがとう”を言うタイミングは何度もあったのに、言わなかった。
“やめる”と言うタイミングも何度もあったのに、やめなかった。
夜、拓也は覚悟を決めて帰宅した。
「話がある」と言おうとして、玄関で見知らぬ靴に気づいた。
リビングには、美咲の弟がいた。
テーブルの上には、封筒と紙。離婚届の文字が見えた。
美咲は拓也を見て、静かに言った。
「あなたが“俺はモテる”って勘違いしてた間、私はずっと“私は何なんだろう”って考えてた」
拓也は言葉が出なかった。
梨花からの“好き”は、金が止まると薄れた。
でも美咲の毎日は、金じゃなくて生活でできていた。
その価値を知ったのは、失う直前だった。
拓也は、札束の王冠が、床に落ちる音を聞いた気がした。
現実は、遅れてやってくる。
そして、やり直しのチャンスは、いつもこちらの都合では待ってくれない。

