タイガー・ウッズや、多くのハリウッドスターがかかったセックス依存症。
またアンジャッシュの渡部建もその疑いがあったとして話題になりました。
「セックス依存症」というと、性欲が強すぎる人がなる症状と、誤解している人も多いでしょう。
たとえば、精力絶倫で相手を毎日とっかえひっかえ……みたいなイメージを持たれる人も多いかも知れません。
ところが、他の依存症共々、そんな下世話なものではなく、実は深刻な病気のようです。
今回は斉藤章佳著「セックス依存症」を参考に、セックス依存症とは何かを考察していきます。
人が依存する3つのもの
人が依存するものは大きく3種類に分けられます。
・物質依存 アルコールや薬物・ニコチンなどの物質を体内に入れることで、依存状態になるものです。
・関係依存 人間関係の依存です。これはDVや児童虐待などにも大きく関係しており、依存症を長引かせてしまう共依存を引き起こす原因にもなります。
・行為・プロセス依存 セックス依存症はこの種類です。ある行為やそのプロセスに溺れてしまう依存です。ギャンブルやゲーム・スマホ依存もこのカテゴリーになります。たとえば、女性のスカートを盗撮したり、万引きしたりする行為など、理性的に考えたら、すぐバレて捕まることは分かりきっています。どう考えても、行為とそれに伴う代償とは引き合いません。それでも、そのプロセス自体が当人にとってやめられないものになってしまうのです。
「パンツ撮影するんだったら、普通に女性とつきあったら?」と思いがちですが、性欲から起こるものとは全く違うのです。
意外!セックス依存症という病名はない
すっかり浸透した「セックス依存症」という言葉ですが、実はそんな病名はないそうです。
2018年にWHO(世界保健機関)が定めた精神疾患の分類では「脅迫的性行動症」と病名が加わりました。
二つの種類のセックス依存症
セックス依存症は大きく合法と非合法の2種類に分かれます。
非合法の場合は見つかると一発アウトですが、その中でもさらに、痴漢、小児性愛障害、強制性交等などの接触型のもの、のぞき、盗撮、露出などの非接触性のものがあります。
合法の場合は不倫や、風俗通い、マスターベーションがやめらないなど、警察には捕まらないものの、「風俗通いが止められず借金を抱える」「不倫で家族に迷惑をかける」など、周囲の人に迷惑が及びます。
性感染や望まない妊娠でなど、自分の身体にもダメージを与えます。
実害があっても、やめられなくなるのは、けして性欲が強すぎるためではありません。
探偵が追跡調査する浮気者の中には、たくさんの愛人に囲まれることで、征服欲を充たしているような人も多いです。
しかし、セックス依存症者はそんな、満足感とは無縁です。
彼らがセックスに溺れてしまうのは、心の中に大きな穴が開いており、それを埋めるのが一時的な性的快楽なのです。
しかし、快楽がおさまると、またその穴と向きあわないといけない。
それが、つらくてまた性に逃げてしまうのです。
これは、酒や薬物に逃げてしまうメカニズムと全く同じですね。
また合法でもあり、お金もかからないものであれば、第3者が介入しづらく、余計に依存を助長させてしまいます。
性的トラウマがセックス依存症を生み出す
セックス依存症の患者には、幼少期に性的被害にあったケースが少なくありません。
幼いときに、屈辱的な性体験をしたことで、自己重要感が極端に低くなり、セックスをしているときだけ、承認欲求が充たされるのです。
しかし、終わった後は、どうしようもない虚無感と罪悪感に襲われます。
その辛さから逃れるために、また性を求める。
性被害に遭った人が、性に溺れる自傷行為を繰り返すのです。
多くの依存症と同じように嘘を繰り返す
他の種類の依存症者と同じように、セックス依存症患者も嘘をつくように……。
アルコール依存症の人は明らかに酒を飲んでいるのに、「飲んでいない」と言い張る。
セックス依存症者も同じような状態になり、あらゆる言い分を使って、欲望を充たそうとします。
自分の非を認めないために、様々言い訳、嘘を繰り返す。
それは、浮気を絶対に認めないパートナーの言い分に似ています。
自分自身にも嘘をつくようになり、やがて自分よりも、性衝動の奴隷になり、自分ではコントロールできなくなっているのです。
愛情行為と引き離されたセックスが依存症を生む
現代社会はとかく愛と性が切り離されています。
性が愛がなくても、成立するようになりました。
AV、風俗、グラビア、マスターベーション、マッチングアプリ、SNSなど……
愛がなくても、セックスが成立しています。
酒や薬物と、同じようにセックスも、モノ化してしまったのでしょう。
自ずと依存症を生み出しやすい環境になっています。
ですから、私たちの誰もがいつ、セックス依存症になってもおかしくありません。
依存症が増える背景には、人間の心が充たされていないことが一番にあるのではないでしょうか?
たくさん、モノや娯楽が増えても、本当に心を充たすものはなかなかないようです。