既存のいじめがテーマの本は、いじめられる側、被害者の立場から書かれているものがほとんどでした。
それもそのはず、被害者側は問題を解決しようと情報を得ようとしますが、加害者側はいじめを解決する必要は全くないからです。

明治大学准教授 内藤朝雄氏はいじめのメカニズムを解明しました。
被害者側がいくら努力しても、加害者側が変わらない限り根本的にはいじめはなくなりません。

今回は、内藤朝雄著「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」を参考にして、いじめを考察していきます。

 

いじめの構造を知って、いじめを予防・回避する

 

 

いじめる側は通常の市民社会秩序とは別の秩序で生きている

 

「なぜいじめるのか?」
通常の意識から考えると、いじめは誰の得にもならないので、成立しないはずです。
ところが、現実にはいじめはあちこちにはびこっています。
それは、いじめは通常の市民社会秩序とは別の秩序の中で存在しているからです。
内藤氏はこれを「群生秩序 」と名付けました。

その場のノリが支配する秩序の中では、善悪はその時の空気が支配しており、「いじめ」はいいことになってしまいます。

「群生秩序」の中では、身分が厳格に決まっており、イジメの被害者はその階級の一番下になります。

そして、そのノリはまわりに伝染すると言います。
寄生虫に行動を支配される昆虫や動物のように、自分の意思とは関係なくいじめに加担している場合もあるのです。

 

不全感と全能感の燃料サイクル

 

少年たちは常に行き場のない不全感を抱えており、それはムカつきと言う言葉に置き換えられます。

このむかつきは何かに対するはっきりした怒りや不満ではありません。

「存在していること自体が落ち着かない」
「世界ができそこなってしまっているような漠然とした苛立ちむかつき落ち着かなさ」

その言いようのない不全感が、仲間と集まり暴力で形を与えられる全能感によって、一転、むかつきから守られ何でもできる気分になります。
不全感の反転現象がおこり、誤作動を起こして世界と自分が力に満ち全てが救済されるかのような無限の感覚が得られるのです。

この全能感は仲間を媒介することによってしか得られません。
仲間と疎遠になるとたちまち自分が弱くなった気がするのです。
全能感を生み出す媒体としての仲間の重要性は、親や恋人や学校よりも重くなります。

不全感から全能感を求める図式は、少年漫画の世界に美化されて投影されています。
何の能力も持っていない主人公が、現実的とは別の世界の仲間に入ることによって、
隠れていた特殊能力を発揮して、世界の中心になっていく。
こういうパターンの物語が繰り返し、作られています。

 

他者コントロールによって得られる全能筋書きとは?

 

いじめる側は被害者をコントロール下に置くことで、無意識に全能感を得られるストーリーに当てはめていきます。
それは大きく3つに分類され、以下のようになります。

 

破壊神と崩れ落ちる生贄

 

まず、一つ目は圧倒的な力によって被害者を一気に破壊するパワーを楽しむ筋書きです。
「加害者が力を加えると、被害者はその爆発的な勢いによって崩れ落ちる」
被害者側にとっては、死に近づく危険な状態です。

 

主人と奴婢

 

たとえ、相手が自分の言いなりになっていたとしても、それが相手が苦痛に思っていないといじめる意味がありません。

被害者を使い走りをしたり、金をむしりとったりするだけでなく、肉体的、精神的な苦痛を与えて「ヒイヒイとあえぐ姿を見て」全能感を楽しみます。

 

遊び戯れる神とその玩具

 

かつてのイジメ自殺に発展した「葬式ごっこ」のようにいじめは奇妙な遊びになぞらえている場合が多いと言います。
被害者をおもちゃのようにもて遊んで楽しむことで、自分の全能感を充たそうとするのです。

 

被害者がいじめから抜け出ようとすると怒り爆発!

 

全能感も全能筋書も、もともと不全感の裏返しなので錯覚に過ぎません。
いじめられてる側がそのポジションから離脱しようとすると、たちまちいじめ側の全能感は崩れ落ちていきます。
これを「全能外され憤怒」と言い、加害者はなんとしても被害者をその位置にとどめようとして、過激な行動に走っていくとうわけです。

 

現実には全能と利害を上手に切り替えていく

 

現実には、いじめ側がすべてを全能感を求めて生きているワケではありません。
普段はちゃっかりと利害関係の世界に生きていて、いじめるときだけその意地悪な本性を出します。
もし、いじめがバレそうになったら、切り替えて利害の世界に逃げ込みます。

 

まとめ

 

子供のいじめの構造は、社会に出ても、はっきりと見えませんが、厳然と存在します。
実質社会と歪んだ全能感で、他人にマウントをとるのが、社会の縮図なのかもしれません。