「不倫のリーガルレッスン」という本があります。
タイトルだけ見ると、法の網の目をくぐり、罪にならず、慰謝料も払わないでいい不倫を指南している内容のように誤解しそうですが、中身は極めて真面目です。
日野いづみ氏著「不倫のリーガルレッスン」は弁護士が法律的観点から見た不倫のあれこれを教えてくれます。
不倫している人も、されている人もこの記事を読んで勉強してください。

 

弁護士が語る法律の目から見た不倫

 

そもそも不倫とは?

「不倫」を辞書で引いてみると、
「道徳に反すること、男女の関係が人の道に外れること」と書かれています。
しかし、現代人の基準からしてみたら道徳って何? 人の道って何?
そんな価値基準って、結局人それぞれで違うんじゃないのって思ってしまいます。

一方、不倫の同義語とされている姦通は、
「男女が道徳や法にそむいて情を通じること」と定義されています。
「情を通じる」というのは昔の言葉で肉体関係のことですね。
また、不義、密通とも言います。
時代劇にしか出てこないような死語です。
が義に反するから不義、密かに通じるから密通、言葉のイメージから不倫と通じる世の中のルールに違反する意味だと想像できます。

「姦通」と言う言葉は、女性が夫以外の男性と肉体関係を結んだ時に使われ、「不倫」は男女問わず配偶者以外の人と肉体関係をもった場合に使われるようです。

 

江戸時代の不倫

江戸時代の法律「公事方御定書(くじがたおさだめがき)」では密通をした妻とその相手は死罪でした。
武士の身分だと、不倫して駆け落ちした妻と相手は女敵(めがたき)とされ、夫は必ず2人を追いかけて殺さないと家名は断絶したそうです。
妻に不倫されることは夫にとっても不名誉なことで、一大事ですね。
これは日本に限ったことではなく、1961年のイタリア映画「イタリア式離婚狂想曲」では、妻に不倫された夫が妻と不倫相手を殺しても、通常の殺人罪に比べて軽い刑で出所できました。
世界的に昔は男尊女卑だったと言うことでしょう。
一方、夫の不倫に関しては何の法律もありません。
男が浮気したり、よそに女性を作るのは当たり前のことでした。

 

戦前の不倫

昭和22年に刑法が制定される前の日本には「姦通罪」という罪がありました。
妻が夫以外の男性と肉体関係を持つと処罰されたものです。
一方、江戸時代と同じで夫は愛人を何人持とうがおとがめなしです。
それは夫には「夫権」というものがあり、
「妻が夫以外とは関係を持たないこと」
「妻の性的な魅力・能力を独占すること」
ことが夫の権利として認められていました。
姦通はその権利を侵害するものだったのです。
それは明らかに妻を夫の所有物とする古くからの価値観に準じるものでした。

 

戦後の不倫

戦後になって平和憲法が制定されてからは、男女平等となり、「姦通」から「不倫」または「不貞行為」と呼ばれるようになりました。
それからは不倫相手はもちろん、夫でも妻でも不倫した場合は責められるようになれいました。
不倫は「婚姻共同生活の平和の維持という権利」を侵害したものと損害賠償(慰謝料)を請求できるようになります。

それは国家間に限らず、夫婦間、家族間にも平和が重視され、不倫は平和を乱すものだという考えに基づくものです。

夫婦関係が既に破綻してから、不倫関係になっても、慰謝料の支払いの義務が発生しないのは、既に平和自体が破綻しているので平和を乱すことにはあたらないという解釈なのでしょう。

 

時代によって不倫の定義は移り変わる

夫婦間の平和を乱す不貞行為を働いたのは、妻であり、夫であるので、不倫相手に慰謝料を請求するのはお門違いであるという考えもあります。
もっとも罪があるのは貞操義務を怠った夫、妻にあるというものです。

「平和」という概念が今や、当たり前になった今、価値観は多様化して、倫理観も人それぞれになりました。

価値観の多様化という概念からすると、不倫は人それぞれの考え方ということで、不倫や不貞行為という概念自体が無くなってもおかしくありません。。

となると、配偶者が不倫をしても慰謝料がとれなくなり、将来は探偵の不倫調査の仕事が無くなってしまう
それだと探偵は商売あがったりで困るのですが……

 

まとめ

不倫してもおとがめなしでやりたい放題だったら、どれだけの夫婦がずっと平和に過ごせるでしょう。

夫婦というシステム自体がなりたたなくなるでしょうね。

長年、不倫調査をしている者から見ると、不倫行為をしている人で
本心から不倫に罪悪感を持っている人を見たことがありません。

むしろ不倫をして何が悪い? と言いたげな空気がうかがえます。

一方、不倫をされた側は相手を許せるワケがありません。

探偵としてはあくまでも不倫された側の立場にたって、調査をするのみです。